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こけしマニア2


今回は「鳴子系伝統こけし」を紹介いたします。

11系列のうち、最も古くから作られ「こけし」と云えば鳴子と云われるほど伝統こけしの代表です。作者は多く明治初期に発展した木地業の傍らに作られたとされております。胴は太く頭がはめ込み式で回すとキイキイ音がします。

写真1は顔をまとめてみたものです。はにかんでいるもの、ポーとしているもの、すましているもの、微笑んでいるものなど、なんと表情が豊かなのでしょう。こんなところに魅力を感じます。

写真2左は高橋武蔵、昭和5、6年頃の作品です。恥じらいながらうつむき加減でいながら清楚な気品があります。戦後は、きりりとした前向きな表情で昭和44年に亡くなるまで鳴子を代表するこけしを作っておりました。写真2右は大沼岩蔵の作品で、目、鼻、口が顔の真ん中に集まり、ポーとした表情がまさに地方の農家の女の子を思い出させます。

写真3左は柴崎丑次郎の作品で、鳴子系こけしの殆どが細かい綺麗な線で描いていますが、おおまかな、くったくのない描彩です。たくましい東北の農家の娘さんを彷彿とさせます。右は高橋定助の作品で、目、鼻、口が小さく、ちまちまと描かれています。こんな女の子も時々見かけます。診察しようとしても怖がらずポーと言われるままに口を開けます。とても可愛くニコニコしてしまいます。この定助こけしを、こけし蒐集家の西田峯吉氏は次のように表現しています。「表情は枯れきって、俳味、禅味すらがただよう。ある人は良寛をこけしにしたようだと形容した。しかしこうした翁のような表情のうちにも全く相反した童女のおもかげをも宿している」定助さんは90代でも描き、昭和49年に亡くなっています。

伝統こけしの魅力の第一は、直接作者と会って人柄を知り、その人の生い立ちの風土を知り、作風の変化を確かめるのが最高です。すでに亡くなってる作者については文献でその生い立ちと作品の経時的変化、その時代時代の作品の評価を調べると興味が尽きません。そして一本一本が愛おしく感じてきます。その気持ちがまた、開業当初から家族ぐるみで診ている一人一人の患者さんへの思いに通ずるように思えるこの頃です。(写真をクリックすると拡大します)

    写真1             写真2            写真3

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